professorusco’s blog

右左心女史観察譚

右左心女史は思うのです。恋なんてそれ程


右左心女史は思うのです。


本当に
 あんなに
  あの人に
      拘る必要があったのだろうか
                   と。



あんなに大変な思いをして、

どうにかしようと頑張るよりも、

サッサと諦めて、
子供の持てる間に、
自分と一緒になってくれる人と結婚して、
子供を持って。



別の人生を
  どうして捨ててしまったのだろう
                   と。



恋なんて無くても、


自分を思ってくれて、
 一緒に人生を作り、
 大切に思いやり、
理解しようと
 努力しあって、
安心して
    身も
    心も
       委ねられたなら、


そんな人と
     人生を送ればよかったのだ
                    と。




恋なんて、


実は



  それ程のモノでは無かったのだ
                と。

右左心女史は話がしたいのです

右左心女史は話がしたいのです。


何の心配も無しに
    誰かと話したい。


「自分はこう思う、
     あなたはこう思う」

「ここが同じ・似てる、
     ここが違う・遠い」

「それってこういう意味?
     これってこういう解釈?」


単にそうやって

『事実確認したり、
     意見を伝えあったり』

        するだけでいいから。


そういう
   『冷静で淡々とした会話』
               が、

どうして
    成り立たないのだろう。

右左心女史は紫が嫌いです

右左心女史は紫が嫌いです。



しかし時々思いいたります。
紫が嫌いなのは自分なのだろうか、
と。


紫が嫌いなのは、
昔紫好きのイヤな奴がいたから
同じになりたくなかったのだ
と。


紫を好む人の

『あの独特のムード』

が苦手だったのだ、
と。


実際紫は似合うのです。


紫を嫌うのは、

私なのだろうか。

と。

右左心女史は哀しくなります

右左心女史は哀しくなります。

当たり前のように手に入ると思っていた事が、
まるで指の間からこぼれ落ちるように
消えてしまった事に。

今となってはどうしようもないと
解っていながらも、
時々それらに
思いを向けざるをえられません。

そんな行為は無為どころか、
自分を苦しめるだけだと
知っていても。

右左心女史は友人を誘って断られた時、 傷付きます

右左心女史は友人を誘って断られた時、
傷付きます。


なんだか
自分が拒否されたような気持になるからです。

本当に単に予定が合わなかっただけだとは
思うものの、
それでもやはり傷付きます。

そんな呪いは自分で解かねばと思いながらも、
そんな自分を持て余すのです。

右左心女史は物を買うのが苦手です

右左心女史は物を買うのが苦手です。

買うのがというより、
増やすことそのものがかもしれません。

一度自分のものになった物には、
最後まで責任が伴うような気がするからです。

汚れれば洗ってやって、
壊れれば繕ってやって、
もう終わりだなとなったら
次の人生を探してやるように
リメイクできやしないか、
ボタンだけでも……
それでも駄目ならせめて雑巾にでも……

野暮ったくなった・気持ちが向かなくなったでは、
可哀想でならないのです。

まるで物に自分が映り込むように感じるのです。

右左心女史はたくさんのガラクタに囲まれて生きています

右左心女史はたくさんのガラクタに囲まれて生きています。

一つ一つ思い出や誰かの思いが有るように思えて、棄てられないでいるのです。

そしていつの日からか、
そのことが右左心女史の重荷になり始めました。

大事な筈のそれらの物が、
右左心女史を苦しめ始めるのです。

「まるで私の人生みたい」

右左心女史は心のどこかで思うのでした。
早く片を付ければよかった、と。